jeudi 18 septembre 2008

ヴィヴァン・ドノン『その日かぎり』における代替のゲイム

福井 寧



 ドノン男爵ことドミニク・ヴィヴァン・ドノン(1747-1825)は、とりわけルーヴル美術館の初代館長として知られていますが、同時に画家ダヴィッドに近い版画家であり、知られている文章の数は少ないものの、著述家でもありました。著述家としては、いくつかの旅行記や書簡を残していますが、特に『その日かぎり』(Point de lendemain)という短篇小説がリベルタン文学の愛好者の記憶に残っています。この短篇小説はまず1777年に執筆され、ヴォルテールに「この世紀の風紀のみごとな描写」と評されました。ヴィヴァン・ドノンはこの小説を35年後の1812年に書き直し、18世紀リベルタン文学の白鳥の歌としました。ここではこの1812年版を扱います。
 この『その日かぎり』という短篇小説は、まさに明日のない刹那的な男女の関係を描いたものです。その書き出しは「僕は某伯爵夫人を狂おしいほどに愛していた。僕は二十歳で、無邪気だった」というものですが、ここで描かれることになる情熱は、二十歳という語り手の若さによる爆発的なものではありません。この某伯爵夫人の友人であるT夫人が、夫、愛人、そしてこの青年という三人の男を用いて行うゲイムに対する情熱が、ここでは問題になっているのです。語り手はT夫人について、「これが大きな情熱をもった女で、まさにこのときにある種の恋心を抱いていること、僕がそのことを知っていると彼女が知らないはずのないたぐいの恋心を抱いていることをもしよく知らなかったとしたら、僕は運がいいと考えようとしていたかもしれない」と云いますが、この情熱は愛人に対する愛の情熱であると同時に、貴族社会における誘惑のゲイムに対する情熱だと考えられるかもしれません。語り手に運がいいとは思わせないようなこの「恋心」すなわち「心の傾き」(inclination)は、人間的なやさしさをもたない人間関係のゲイムへのT夫人の志向を表しているとも考えられます。
 しかしT夫人は同時に「慎みの原則」(principes de décence)をもっています。この「慎み」(décence)という単語は、まったく道徳的な価値をもたない社会的な通念でしかありません。実際に美徳をもってはいなくても、この慎みという見せかけさえもっていれば、社会のなかでうまく生きてゆくことができるのです。この短篇小説そのものが慎みの原則をもって書かれていて、たとえばT夫人が主語であるべきところに不定代名詞の on を用いるということが頻繁になされます。
 この不定代名詞の多用は象徴的な事実です。美徳ではない見せかけの価値の慎みの原則が支配するところでは、個々人の人格は重要ではありません。この小説のなかでは、あたかもひとりひとりの人間は他の人間によって置きかえることができるかのようにことが運びます。この小説のきわめて印象的な冒頭を引用してみましょう。
 僕は某伯爵夫人を狂おしいほどに愛していた。僕は二十歳で、無邪気だった。裏切られた僕は、気分を害したので、夫人は僕のもとを去った。無邪気だった僕は、夫人に戻ってきてほしいと思った。二十歳の僕を、夫人は許した。でも僕は二十歳で、無邪気だったので、相変わらず裏切られていたけれど、よりを戻したので、自分はだれよりも愛される愛人だ、さらにだれよりも幸福な男だと信じていた。
 接続詞を多く用いずに、「僕は二十歳だった」と三度も繰り返しながら短い文を重ねるこの書き出しは、当然のことながら、「僕」と某伯爵夫人の間の関係を物語る小説を読者に期待させることでしょう。しかし語り手は段落を変えずにこうつづけます。
 伯爵夫人はT夫人の友人で、T夫人は僕に関するちょっとした計画を抱いていたようだが、自分の尊厳は傷つけられないようにしていた。後にわかるように、T夫人は細心の注意を払って慎みの原則に執着していたのである。
 このように、サド侯爵が同時代のリベルタン文学に関して批判したような、ものをその名前で呼ばないガーゼをかけたような文体、しかしいささか皮肉な文体の小説が予告されます。そうして実に奇妙なことに、魅力的な書き出しで存在が告げられた某伯爵夫人はこの小説のなかに一度も姿を現さず、ここで伯爵夫人の友人として紹介されたT夫人が、語り手の束の間の愛の情熱の対象として現れるのです。
 語り手はオペラ座で伯爵夫人のことを待っていますが、そこにT夫人が現れます。
 ある日桟敷席で伯爵夫人を待っていたとき、隣りの桟敷席から呼ぶ声が聞こえた。また慎み深いT夫人ではないだろうか。「あら!もう来てるの?」と云っていた「何という暇人なのかしら! そばにいらっしゃい」
 その日伯爵夫人がオペラ座に現れたのかどうかについてはまったく言及されませんが、第一幕が終わると、青年は導かれるままにT夫人についてゆきます。この日は、T夫人が七年もの間別居していた夫と和解する予定になっている日で、そこに彼女は青年を連れてゆくのです。この夫婦が和解するのは、世間体を重んじてのことでしかありません。これはただ世間体のためだけであるということを皮肉な形で知らせるために、夫は妻の愛人だと考えるにちがいない青年はこの場に招かれたと考えることができます。しかしだれに知らせるのでしょうか。この問いに対する答えはしばらく保留して、まず青年がT氏に迎えられる場面を引用します。
 すべてが明るく、すべてが喜びを告げていたが、喜びを表そうとしない家の主の顔だけが例外だった。そのものうげな雰囲気が、家庭上の理由だけで和解が必要だということを示していた。それでも慣例に従って、T氏は車の扉のところまでやってくる。僕は紹介を受け、彼は僕に手を差し出し、過去、現在、未来の自分の役柄を思いながら、僕はついてゆく。豪華であると同時に趣味の良い装飾のサロンを僕は見て回る。家の主はあらゆる贅沢の追及に長けていたのだ。官能のイメージによって、衰えた肉体の源をふたたび元気づけることに努めていた。
 この箇所はこの小説の鍵となる重要な一節です。「僕は二十歳だった」と繰り返す冒頭とは対照的に、肉体の衰えを見せているT氏の年齢はこの小説のなかでは言及されません。T氏もまた、世間体から必要とされる妻の「慎み」(décence)と同じようなものである「慣例」(bienséance)によって行動します。しかも世間体のためだけに必要な夫婦の和解の場に妻が連れてきた若い愛人らしき青年に対しても慣例をもって接するということが、皮肉な状況を強調します。
 語り手はここで自分の「役柄」(personnage)を思い、オペラ座からはじまったこの冒険は、この青年自身のものではない何らかの役を演じることにあることを読者に暗示します。T氏は18世紀のリベルタンの幸福の原理である「官能」(volupté)のイメージで自分の住居を飾っています。官能とは必ずしも性的なものではなく、美食、目に心地よいものなど、五感に快い感覚を意味します。ここで肉体の衰えたT氏に対して、若さを象徴する青年もまた、T氏にとっての官能のイメージである家具のようなものの役を演じているのです。
 この短篇小説が人々の記憶のなかに残っているいちばん大きな理由は、T氏の邸宅のなかにしつらえられた小部屋の装飾の記述にあります。この小部屋は「T氏が気持ちを強くするために必要としているつくりものの力の源」であるとされます。このなかで特に重要な役割を演じているのが鏡です。語り手はこう云います。「僕は巨大な鏡の檻のなかにいて、物体がとても芸術的に描かれているので、それが反射されると、描かれているものすべてがそこにあるかのような幻覚を生んでいた」 この鏡の檻のなかで青年とT夫人は愛の行為に及びます。「彼女は僕の方に身を傾け、両手を伸ばし、すべての壁面において繰り返されるこのグループのおかげで、一瞬のうちに僕はこの島が幸福な恋人たちで一杯になるのを見た」
 この直後に語り手はこう云います。「欲望はその映像によって自らを再生産する」 この一文がこの小説の構造を明らかにします。この小部屋は、T氏がその映像の反復によって自らの欲望を刺激するためにつくったものです。しかしT夫人は、まるでこのT氏の欲望を反復するために存在するかのようなこの小部屋のために、この城に戻ってきたのです。さらにここに招かれた若い青年は、自分にとっては某伯爵夫人の代替物であるかのようなT夫人に誘われてここにやってきました。しかもこの小部屋に招かれる前に、その話を聞いて興味をかきたてられた青年はこう語っていたのです。「僕が欲しかったのはもはやT夫人ではなく、小部屋の方だった」
 このようにこの小説は欲望の模倣のゲイムによって成り立っています。特に青年とT夫人はお互いのことを模倣し合います。たとえば「打ち明け話は惹きつけあうものだ」と云って、青年はT夫人の打ち明け話に対して打ち明け話で答え、愛の場面においては「愛撫は愛撫を探し求める。愛撫はお互いのことをさらにやさしく呼び求める」と云います。このようにして伝染して増幅した欲望に語り手は自らだまされかけ、冒頭で自らそれを禁じていたはずなのに、自分は運がいいと思いそうになります。こうして一夜明けた朝には、T夫人が自分のことを新しい愛人として選んだのではないかと信じかけますが、そこに突然T夫人の現在の愛人であるということを青年が知っている侯爵が現れます。この侯爵は冒頭で問題になっていたT夫人の恋心の対象だと考えられます。T夫人の本当の計画を知らなかった侯爵は、ただ青年がT氏の前で愛人の役を演じるという夫人の考えたゲイムのためにそこにいると信じています。ここで突然、語り手は、自分では意識することなく、ある役割を演じさせられていたということに気づくことになります。侯爵はすぐさま青年に「役」がうまく演じられたかどうかを聞き、青年はこれが喜劇だということは知らなかったと答えます。侯爵の頭のなかにある「役」と、前夜に青年が実際に演じた「役」は別のものです。「これが喜劇だとは知らなかった」と答えている青年自身が、ここでT夫人のことを「石のように冷たい女」と呼ぶ侯爵もまた、自分がT夫人の仕組んだ喜劇のなかの登場人物であるということを知らないのだということを考えずにはいられないということになるでしょう。こうしてT夫人は三人の男を全員もてあそんだことになるのです。青年とともに城へおもむく途中で、T夫人は二度馬を替えさせていましたが、馬と同じように男も気軽に二回取り替えていたのです。語り手はこう云います。
 T氏は皮肉を云って僕を送り返し、僕の友人はT氏をだまして、僕のことをばかにしていた。僕は友人に対して同じことをしていたが、それと同時に、僕ら全員のことをもてあそび、そのひととなりの尊厳をまったく失うことのないT夫人に感嘆していた。
 しかしここでT夫人は自分にとっていい役だけを演じているのでしょうか。彼女は冒頭から語り手にとっては伯爵夫人の束の間の代替物でしかなかったことを思い出さなければなりません。彼女もまた伯爵夫人とその愛人である語り手の青年の間の欲望を写しとっていたのです。しかもこのゲイム自体が、T夫人によると語り手の青年や他の男性をもてあそんでいるという伯爵夫人の模倣にすぎないのかもしれません。T夫人が云うには、この物語のなかには実際に姿を現すことのない伯爵夫人は多くの役を演じているのです。多くの役を演じる伯爵夫人の友人として、T夫人は語り手の愛人という自分のものではない役を演じ、自分の愛人ではない青年に、夫の前で愛人の役を演じさせているのです。T夫人は伯爵夫人について「このゲイムではすべてに影響を及ぼして、しかも自分では何もつぎこまないとは、何とこの女は幸福なことでしょう!」と感心しています。このことばはそのままT夫人自身に適用されるでしょう。
 このT夫人が傷つけることのない自らの尊厳は、世間体を重んじる社会のなかの純粋に形式的な尊厳であり、現代の人間が理解するようなとりかえのきかない個人の内面的な尊厳は、五感の快楽のために他者の欲望を模倣するひとのなかには存在しないと云えるでしょう。愛の場面の後でT夫人はこう云います。
 私たちをみちびくもの、私たちの口実であるこの快楽の魅力だけによってこの夜を過ごしたのよ。きっと明日私たちが離れ離れにならなければならない理由があるでしょうけれども、いかなる自然にも知られていない私たちの幸福は、たとえば、ほどかなければならないどんな係累も残さないのでしょう…いくらか後悔の念が残るけれども、そのなかの心地よい思い出が償いとなるでしょう…。それに加えて、あらゆる鈍重さ、わずらわしさ、決まったやり口のしめつけがない快楽が残るのです。
 このことばに対して語り手は、「我々はこれほどにも機械なので(そのせいで僕は赤くなってしまう)[…]この大胆な原則に少なくとも半分は賛成だった」と云います。青年は赤面する感受性を備えているものの、近代人の個人の尊厳とは遠い、お互いを模倣し合う機械のような動物性を少なくとも半分は引き受けています。このような青年は、人間であるT夫人よりも機械である小部屋の方を欲望し、このようにすることによって、ある見方からすればT夫人の人間としての尊厳をおとしめているのです。とはいっても、人間もまた機械でしかないとする無神論の立場からすれば、これは必ずしも尊厳をおとしめることにはならないのですが、この小説の語り手はどっちつかずの中途半端な立場にとどまっています。若さのために、半分だけしかシニカルな意見に同意できない青年の語りが、この例外的な短篇小説の魅力をなすと云えるでしょう。
 この小説を解釈するために重要な問題が残っています。T夫人は、この内面性が重要ではない世間体だけが重要な社会のなかで、夫との和解が世間体のためだけであるということを知らせるために、青年を城へと連れて行ったということを云いました。これはだれに知らせるためだったのかという問いには答えがないままにしておきました。この問いには語り手自身が答えを出しています。
 僕は二十歳だということを読者に思いだしていただきたい。それでも会話は目的を変えた。前よりも不真面目になっていた。愛の快楽について冗談を云い、愛を分析し、精神的なものを切り離し、愛を単純なものにし、愛のあかしは快感でしかないと証明しようとしさえした。我々の秘密を少しわからせたり、いくらか秘密を漏らしたりするという、人々と契約したものしか(哲学的に云って)約束はないのだとも証明しようとした。
 このようにして、「閉じられた貴族社会の噂話に話題を提供する」という約束によって、このT氏の城に青年が連れて行かれるという物語がはじめられ、幕を閉じなければならないのです。このように考えると、数々のサロンで読まれることを想定して発表されたこの短篇小説自体が、官能のイメージを反復して人々に送り返す鏡の一枚であるとも考えられます。
 早朝に城に到着した侯爵は、語り手の青年について「彼は最初はじめたときと同じくらい巧みに自分の役柄を演じ終えましたよ」とT夫人に云い、夫人はこれに答えて「この方にお任せする役についてはどれも成功を確信しておりました」と云います。こうしてこの美しい小品は首尾よく終わりを告げます。この小説の最後の一文は、「僕はこの話全体から何とか教訓を引き出そうとしたが…何も見つからなかった」というものです。「いい俳優には悪い役はない」と云う青年は、ひとつの経験を生きたのですが、それはまるで喜劇のなかのある役を演じるかのようにして生きられたものです。他のだれかにもこの役を演じることができたのでしょう。結局は愛の情熱に動かされる機械のように過ごした一夜から、この青年には何の教訓も引き出すことができません。
 この見せかけと世間体の支配する世界での誘惑のゲイムを描く小説の一頁目には、「文字は殺し、精神は生かす」という聖パウロのコリント人への手紙からのことばがエピグラフとして添えられています。貴族(文字)の女の情熱には愛(精神)がありません。18世紀まで「情熱」は理性を乱すものとして否定的にとらえられていました。名前さえあれば本質は問題にされない貴族社会のなかで、「石のように冷たい女」が動物的な情熱によって真心のない誘惑に興じる物語の枠組みは、まもなく革命の到来によって、生ける精神をもつ情熱、19世紀以後は人間的で肯定的な価値をもつことになる情熱によって書き換えられることになります。18世紀の終わりを告げるこの短篇小説のなかで語られる「情熱」は、19世紀以後の近代社会のたたえる情熱ではないということを理解しなければ、この小説の意味合いを把握することはできません。一時的な情熱に支配されるこの小説の登場人物は、18世紀においては否定的にとらえられるものであるという共通理解がありましたが、19世紀の小説の語りは、同じことをしている恋人たちをちがう視点から肯定的に描くことになるでしょう。このロマン主義とブルジョワ的な美徳の19世紀は、バルザックがこの短篇小説を『結婚の生理学』のなかにはさみこむときに、ヴィヴァン・ドノンの露骨ではない示唆的な表現をさらに和らげなければならなかった精神の検閲の世紀であったことも最後につけくわえなければならないでしょう。

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